ishida式の大分県 磨崖仏紀行 的な…
2012年3月9日(金)〜12日(月) 家族旅行で豊後の磨崖仏を巡る。

次女がこの春に就職するため、長い休みを取って家族で一緒に旅行しにくくなると思い、帰省している大学生の長女共々旅行に行こうと計画しました。
ただ、時期的にはまだ寒い地方への旅は難しいだろうということで、目的地を九州にしました。
別府温泉には以前から行ってみたいと思っていたので、大分県を第一目的地にフォーカス。
阿蘇や久住、果ては祖母山地・大崩山にも登ってみたいな…というのは欲張りすぎ?
家族旅行なんで、もうちょっとのんびり行きたい場所を絞ろうとしていた中で浮かんだのが「臼杵石仏」です。
ishidaの場合、中学生時代から仏像や石像遺物なんかも好きで、小遣いをはたいてそういう本ばっかり買っていたので親も呆れていたくらいなんです。
訪問したい場所として「明日香村」と「臼杵石仏」は筆頭中の筆頭でした。
(もちろん、奈良の仏閣や中尊寺金色堂なんかも)

結果、今回の旅は別府と臼杵、ついでに国東半島を巡る三泊四日の旅ということで企画することにしました。
ここはリッチに(?)空の旅で、長女は飛行機初体験(^^)、自分以外は九州初上陸ですね。

 

----2012年3月9日(金)-----

 

早朝に自宅を出発し、中部国際空港でチェックインすると、横にいた係員さんの説明の中に「バスでご案内しますので…」という台詞が。
出発ゲートが「102」って、そんな搭乗口ってあったかしら??行ってみると、確かに一番端っこにありました。
バスでご案内っていうことは、もしかしてボンバルディアのプロペラ機…?
実際にバスに乗って駐機場の隅っこ(^^;のほうに向かうと確かにちっちゃい飛行機が並んでいますが、バスが横付けされたのはちっちゃいけどジェット機でした(^^;
ANAとIBEXの共同運航のCRJ−700っていう、70人乗りの小型ジェット機です。
(後で調べたら、このCRJっていうのもボンバルディア社の機体だそうです。)
プロペラ機のDHC−8(Q−400)は「屋久島遠征」の際に鹿児島〜屋久島間の航路で乗ったことがありますが、さすがにプロペラ機では名古屋〜大分間は時間がかかりそうですね。
このCRJ、機体の割にはそれなりに強力なエンジンを搭載しているようで、良好なSTOL性だけではなくて、B737なんかより速度も速いくらいみたいです。
座席は先日乗ったスカイマークのB737とよく似た感じの薄いシートで、膝前げんこつ1個分くらいの余裕?リクライニングは1ノッチしかありませんでしたが、特に不快でもない程度です。
ただ、天井が低いので、立ち上がったときにうちの奥さんでも頭を荷物入れにぶつけました。もちろんishidaも(^^;

大分空港に到着すると、コンパクトな空港の利点か、建物脇までタキシングして、直接地面に降りて空港の建物に歩いて入るという方式でした。
(もちろん小型機のCRJは通常の搭乗ブリッジに接続することは出来ませんからね。)


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直接地上を歩いて到着ロビーへ。(左) 初めて乗ったCRJ-700。(右)

 

その後、お迎えの車で予約していたレンタカー会社へ向かい、車を受け取りました。
元々はSクラス(ヴィッツ・マーチクラス)の予約でしたが、都合により同条件でAクラスの「キューブ」になってラッキー!
初めて乗ったけど、四角四面のキューブだけあって室内も広くて良いですね。

レンタカー会社を出て、高速道路(自動車専用道)に乗って臼杵を目指します。
途中、寄りたかった別府湾SAで休憩、残念ながら小雨で展望なし。売店の豚まんがメチャ美味かったのが収穫かしら。
時間短縮のため、臼杵インター前のモスバーガーで昼食を仕入れ、すぐ近くの「臼杵石仏」に到着です。
まだ天気もぐずつき気味なので車内でお食事を済ませてしまい、身軽になって石仏見学に向かいます。

臼杵石仏の拝観料は530円ですが、隣接する「ヤマコ臼杵美術博物館」も寄りたかったので、共通件1090円を購入しました。
とりあえず心配していた雨も止んだので、いそいそと石仏見学へと向かいます。
大きく4箇所に分かれている石仏群ですが、まず最初に「ホキ石仏第二群」が現れます。

 

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ホキ石仏第二群の阿弥陀三尊像。

 

ここでの見所は、やはり「阿弥陀三尊」でしょう。
一般的に臼杵石仏のなかで、「古園石仏群」中尊の「大日如来」が代表格と言われ、パンフレットなどでも必ず表紙に取り上げられています。
しかし個人的な意見では、この「ホキ石仏第二群」の「阿弥陀三尊」が彫刻としては最も完成度の高いものだと思います。
シャープな彫りとバランスの取れた体躯には、当時の奈良や京都の第一級の仏師の作品に勝るとも劣らないセンスが感じられます。


----------ここで薀蓄----------------------------------------------------------------------

臼杵石仏(臼杵磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉初期にかけて造像されたと考えられています。
当然、創建時には前述のように中央の造像技術の移入があったのは事実だと考えられます。
しかし、尊像の配置や組み合わせが独特であり、成立の経緯や背景になる仏教集団も記録に残っていません。
磨崖仏であるため、一般的な寺院にある仏像のように「創建時と配置が変わってしまう」ということが無いのは幸いですが、そもそも屋外なので風化・損傷し易いのが難点です。
実際、立体的に彫り出されているが故に手先などは多くが失われていて、印相が不明な尊像も多くあります。
また、磨崖仏は寺院内陣の仏像のように立体的な配置が困難ですから、いきおい像を左右に(実際には上下も含めて)並べる配置となってしまう特徴があります。
臼杵石仏の尊像配置についても、どのような背景であるかは謎に包まれています。
臼杵の磨崖仏は阿蘇などの火山活動が起源の「溶結凝灰岩」と呼ばれる緻密な岩に彫られています。
この岩は、細かな火山灰で形成された火砕流などが高温で再溶融して固まったもので、奥三河などでもよく見られるもの(例えば大島ダム堰堤周辺など)です。
加工し易くて精密な彫刻が可能な反面、強度が低い、水分がしみ込み易いなどの理由で、風化しやすい特徴があります。
臼杵石仏の場合、創建時は覆い堂があったと思われますが、宗教施設が衰退した後、かなりの年月は風雨に晒されたままであったのと、そもそも前述の理由で破損しやすい宿命を負っていたことになります。
また、厚い凝灰岩層とはいえ、もともと多くの亀裂や異なる地層による分断などを内包していることも、崩壊を促進したようです。
とはいえ、日本の磨崖仏の分布の中心が大分県にあるのは、この恵まれた凝灰岩層も要因の一つです。

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ホキ石仏第二群とは、この阿弥陀三尊(弥勒との説もあるようです)と並んで、九体の阿弥陀像を擁する「九品の阿弥陀像群」を指します。
他の石仏群よりも一段低い場所にありますが、長年の保存工事のお陰か、雨上がりでも地下水の湧出は抑えられている様子です。
長年の念願の後、初めて対面する巨大な磨崖仏をゆっくり堪能しました。

 

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ホキ石仏第二群、九体の阿弥陀像を擁する「九品の阿弥陀像群」。


続いて、ホキ石仏第一群へと足を向けると、あれれ、第三龕(大日如来像群)と第四龕(地蔵・十王像群)は足場が組まれて保存作業中でした。
(紫外線を照射してコケなどを除去する作業を3/20までの予定で実施中とのこと)
特に半跏地蔵菩薩と十王の組み合わせは非常に珍しいですし、少し時代が下がっているとはいえ保存状態も非常に良いこの尊像群との対面も楽しみにしていたのに…。
第一龕(如来三尊と両脇侍)と第二龕(如来三尊)はどちらも中尊の顔面に亀裂が入って痛々しいですが、立派な像容には質量感を感じます。

 

ホキ石仏第一群の脇から、崖上の台地上にある五輪塔に登る脇道ももちろん登りました。
在銘の五輪塔としては国内で二番目(嘉応二年:1170年))と三番目(承安二年:1172年)に古いもので、臼杵石仏の成立年代のヒントになっているものです。


 

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ホキ石仏第一群、第二龕(如来三尊)。

 

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第三龕(大日如来像群)。(左) 保存状態の良い第四龕(地蔵・十王像群)。(右)

 

ホキ石仏第一群から谷を隔てたところに山王山石仏が鎮座しています。
こちらはやや小じんまりとした如来三尊像のみですが、ホキ石仏群とは一転して、地方仏らしい大らかさを感じさせます。
(彫像としてはやや田舎作りで洗練されていないといった面もありますが)

 

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ほのぼのした表情の山王山石仏。

 

さらに進むと、同じ龕に最も多数の尊像が並ぶ古園石仏群です。
その中尊大日如来は、宝冠を戴いて智拳印を結んだ金剛界大日如来で、前述のホキ石仏第二群の阿弥陀如来に並ぶ巨像です。
かつては大日如来の頭部が落下した状態で基壇に置かれていた姿で有名だったのですが、現在は復元工事が終わってある程度は昔日の姿を取り戻しています。
ここでは、家内安全の祈願も込めて焼香もしてきました(^^)。

 

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臼杵石仏を代表する古園石仏。

 

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古園石仏中尊の大日如来。(左) 満月寺門前の仁王像。(右)

 

古園石仏から、平坦な谷地を挟んで「満月寺(まんがつじ)」があります。
まずは木原石仏と呼ばれる仁王像がお出迎え。
仁王像としては珍しい石造の丸彫りで、大袈裟なポーズと表情が楽しく、うちの奥さん曰く「ウルトラマンそっくり」だそうです。
仁王像に向かって右手には磨崖仏を彫ったとされる蓮城法師像、願主とされる真名野長者夫妻像、石造五重塔などがあります。

また、本堂の左を奥に進むと「日吉塔」と呼ばれる巨大な宝篋印塔が姿を現します。
サイズも宝篋印塔としてはかなり巨大であるだけでなく、重量感のあるプロポーションや軒の隅飾りが別石で作られているなど、非常に見応えがあります。
彩色も残っており、全体の保存状態も良好です。
また、塔身部は仏龕のように刳り抜かれており、造立時は厨子のように扉が付いていたようです。

 

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蓮城法師像と真名野長者夫妻像。(左) 大型の宝篋印塔の日吉塔。(右)

 

一通り石仏を見学したあとは、「ヤマコ臼杵美術博物館」で臼杵の歴史、臼杵石仏周辺の発掘結果などの資料を見学。
ここの「ヤマコ」とは、海苔の販売を手掛けている愛知県安城市の会社で、いわゆる「ニコニコのり」とはグループ企業の関係だそうです。
博物館には古園大日如来の頭部のレプリカ(実物から型取りしたもの)が展示されていますが、その大きさが理解できますね。

 

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蓮田の脇に田の神さあ。(左) 実物から型取りした大日如来仏頭。(右)

 

臼杵石仏見学後は宿泊地の大分市に向かいますが、時間的にも余裕があるため(元々予定していた)大分市内の磨崖仏を見学できそうですね。
まずは「曲石仏」を目指しますが、すれ違い困難な住宅地の狭い道なうえに、案内看板も無いのですが更に人家の脇の急な坂を登って行かなくてはならないようで、車を停められそうも無かったので訪問を断念。
(帰宅してから調べたら、台地の上側、盛岡小学校から行くのが正解のようでした。)

次は気を取り直して郊外の「高瀬石仏」へ。
高瀬石仏は大分川支流の七瀬川沿いの丘陵地の一端にあり、周囲の環境も素晴らしい場所でした。
(案内看板や見学者用の駐車場も用意されているのは「国指定史跡」の恩恵でしょうね。)
農道脇の凝灰岩の崖に石窟が穿たれた中にあり、現在は新しい覆い堂で風雨から守られています。
丸彫りに近い立体的な表現の大日如来を中心に、馬頭観音、如意輪観音、大威徳明王、深沙大将の5体の石仏が刻まれ、彩色が良く残っていることが特徴です。

中尊の腕は破損していますが、法界定印を結んでいるようですから、胎蔵界の大日如来のようです。
左端の深沙大将は全国的に見ても像自体が珍しく、蛇やドクロを身に纏ったおどろおどろしい姿にも興味を惹かれます。
中尊以外は比較的浅い彫りのため、大威徳明王が跨る水牛は何となく絵画的表現にも見えます。

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中尊の大日如来と大威徳明王、深沙大将。

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中尊の大日如来と如意輪観音、馬頭観音。

高瀬石仏の次は、さらに大分中心街に近い「元町石仏」を目指します。
大分川左岸の河岸段丘に位置する「元町石仏」ですが、古国府周辺の市街地と傾斜地が入り組んでいて、レンタカーに備え付けのナビでは国道10号線から入ったあとはガイドが停止して右往左往(?)
一度停止して自前のナビで拡大して確認し、JR久大本線の線路沿いを古国府駅方向に少し戻ったところに目的の「元町石仏」がありました。
周辺は住宅地ですが、段丘崖と線路に挟まれた場所で、直近の踏み切りは車は通れそうもないし、石仏の先は行き止まりのようです。
こちらの「元町石仏」も国指定史跡ですが、狭い道路に面しているためか道案内の道路標識などは見当たりませんでした。
中尊の薬師如来坐像は立派なお堂に覆われており、下半身はかなり風化していますが、上半身は一部剥落は目立つものの見事な姿を見せてくれます。
表情は異なりますが、時代的にも近いと思われる臼杵のホキ石仏第二群の阿弥陀三尊像に近い大きさと高度な造像技術が伺えます。
臼杵石仏よりも緻密で脆い凝灰岩であるためか、中尊以外の風化が著しいのが残念です。
ただ、よく見ると当初から彩色なのか、塑土のようなもので表面処理がされているのか良く判りませんが、どこまでが岩の表面なのか疑問な部分も見受けられます。
しかし、平安時代後期の作風を色濃く反映した緻密な造形は見応え十分です

 

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「元町石仏」中尊の薬師如来。非常に高い技術で製作されているのが伺えます。

 

解説板には、「岩屋寺石仏」まで300m程だと書かれていたので、徒歩で向かいました。
狭い踏切を渡り、JRがトンネルになっている脇を歩いて古国府駅方向に向かう通りに出ると、右手の崖に磨崖仏を守る覆い堂が見えました。
こちらも元町石仏と元々は一体の寺院に属していたと思われる磨崖仏群ですが、わずかに十一面観音像がほぼ全身を残すのみで、他の尊像は殆どが剥落してしまっています。
その脇には、千仏龕といわれる小龕群の一部や国東塔(らしき形式だが蓮華座は無く、相輪は後補なのではっきりしない)も残されています。

 

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岩屋寺石仏で唯一全身像の残る十一面観音。(左) 国東塔らしき形式の宝塔。(右)

 

近くにある「伽藍石仏」はオミットして、本日の宿へ向かいました。
お泊りは航空券とセットで選択した大分駅近くの「ホテル法華クラブ大分」ですが、設備も良くて快適なビジネスホテルでした。
身軽に飛行機に乗るため、着替えなどは先にホテルに宅急便で送っていたので、ここで受け取りました(^^)

 

----2012年3月10日(土)-----

翌日は、大野川流域の磨崖仏をピックアップして訪問。
当初は「犬飼石仏」「菅生磨崖仏」「宮迫(東・西)石仏」、時間があれば竹田市の岡城址まで行ってみる予定でした。
ただ、前日の「曲石仏」のように狭い場所や山奥だとちょっときついかも…ということで、犬飼石仏はオミットしようかと思ったのですが、やはりさすがに「国指定史跡」だけあって道中に立派な道案内の看板が
あったので予定通り立ち寄ることにします。
集落の中の狭い道を登ってゆくと、人家の物置も岩窟だったりして、いかにも磨崖仏のありそうな雰囲気です。
東屋のある広場に駐車し、石段を登ったところで「犬飼石仏」とご対面です。

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見上げる大きさの「犬飼石仏」の不動明王三尊。

切り立った岩壁の下の覆い堂の奥に鎮座する巨大な不動明王坐像が眷属の二童子(左に矜羯羅童子、右に制叱迦童子)を従えた三尊形式の磨崖仏です。
荒い礫も含む凝灰岩から厚肉に掘り出されていますが、下半身はやや平板で絵画的な表現をベースに持っているように見えます。
周辺の環境も含め、迫力を感じさせる像容に圧倒されます。
周辺には、規模の小さな仏龕群や古い五輪塔・板碑も多く祀られています。

 

犬飼石仏を後にし、本日最も期待している「菅生磨崖仏」を目指して、大野川沿いを遡ります。
こちらは意外と小さな案内看板を頼りに、「道の駅みえ」を過ぎた先を「菅生小学校」に向けて右折、小学校脇からトンネルを抜け、その先で右折した先に整備された駐車場がありました。

周辺もきれいに手入れされて気持ちの良い場所を磨崖仏に向けて登ります。
最後に急な階段を登った先にお待ちかねの「菅生磨崖仏」が鎮座していました。

 

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磨涯仏としては珍しい千手観音像。(左) 阿弥陀如来と十一面観音。(右)

 

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独特の雰囲気を漂わせる菅生磨崖仏群。

 

岩窟状に彫られた崖に、向かって右から「多聞天立像」「十一面観音坐像」「阿弥陀如来坐像」「薬師如来坐像」「千手観音坐像」を刻んでいます。
「多聞天立像」は浅彫りですが、他の四尊像は丸彫りで立体感、表情とも豊かです。
当初のものかどうかは判りませんが、全身が赤く彩色され、周囲の環境とあわせて非常に厳かで迫力を感じさせます。
平安時代後期の作といわれ、雅で優美な中にもやや頭が大きいプロポーションなどがわずかに地方色を醸し出しています。
優美な作風、良好な保存状態、特異な尊像配置など、見所がいっぱいで期待を上回る満足度です。
親子で写真撮りまくり(^^)で、時間を忘れてもうお昼になってました。

 

次の目的地は「宮迫(東・西)石仏」ですが、すぐ近くにある「原尻の滝」も見ておきたかったので、「道の駅 原尻の滝」でお昼を兼ねて休憩、豊後牛を使った料理を楽しみました。
道中、やっと晴れてきた雲の向こうに見える傾山・祖母山方面の稜線、霧氷で真っ白です。九州北部って寒いのね。
道の駅でレンタサイクルも借りられるとのことだったので、事務所で申し込んだら、まだ季節外れだったみたいで、倉庫から引っ張り出し、タイヤの空気も入れてくれました。
マウンテンバイクルック車ですが、サドルが低すぎて、調整しようにも固着していてちょっと苦労(^^;

 

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原尻の滝。滝の上側を通る道もあります。(左) この地方に多い石造アーチ橋の原尻橋。(右)

 

原尻の滝を巡って、立派な石造りの原尻橋を見学してから、岡を越えて(^^;まずは「宮迫西石仏」を目指します。
(でも、真新しいトンネルが出来ていたお陰でそれほど走らないうちに到着しました。)
ここも急な石段を登った場所に石龕の中に掘られた、平安時代後期作といわれる如来三尊像が鎮座していました。
菅生磨崖仏のように丸彫りに近い像高の揃った三体の坐像(右から阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来)ですが、雅な雰囲気を感じさせた「菅生磨崖仏」に比べると、ほのぼのした地方色を色濃く感じさせる雰囲気です

彩色が非常に鮮やかですが、これは近世のもののようです。

 

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如来三尊形式の宮迫西石仏。

 

再び石段を降り、少し東に行くとバス停、トイレが備わった駐車場があり、脇の急坂を登った先に「宮迫東石仏」があります。
こちらは、巨大な中尊の如来坐像(大日如来といわれる)の左右に多聞天と不動明王、さらに両脇には仁王像(上半身は損傷)を従えています。
こちらは西石仏とも作風が異なり、背面の岩壁にもたれかかるような傾斜を持たせた造像やお人形のような手足の造りで、より地方的な雰囲気を感じさせます。
彩色も非常に色濃く残り、中尊の光背にも複雑な文様が見えますが、本来の形式と違うようでやはり近世のもののように見えます。

 

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中尊に両脇待、仁王像を配した宮迫東石仏。

 

石仏見学もかなりお腹いっぱいとなり、時間的にも次の宿泊地の別府に移動する時間となり、残念ですが岡城址(荒城の月の舞台)はパスして別府に向かいます。
途中、普光寺磨崖仏の看板を見ましたが、残念ながらこちらもパス(^^;

 

別府の宿は「別府ゲストハウス」、ドミトリー形式の旅人の宿で、個室4人でお一人様2500円也ですが、古い割りに清潔で好感が持てました。
若者の一人旅にはこういう宿が良いんじゃない?(自分も屋久島の旅ではバックパッカーの宿をご利用で、楽しかった。)
別府市街に出てお食事の後、竹瓦温泉に入浴(男女別なので家族と別れて一人なのでちょっと寂しい?)して帰りました。

 

----2012年3月11日(日)-----

 

翌日、宿を出て地獄めぐりに向かう途中、久々にすっきり晴れた空の下、鶴見岳周辺の山頂が霧氷で真っ白なのが見えます。
急遽、第一目的地を別府ロープウェイに変更。
ロープウェイ駅に着くと、時間的にまだ早すぎたので、いったん市街方面に下ったところのコンビニで朝食を調達です。
お店のポスターには「地獄めぐりセット券割引販売」とのことで、4人分をここで買うと結構お得でラッキー。
ロープウェイの始発に飛び乗って、鶴見岳山頂駅に着くと、さっきまで晴天だった山頂部は雲に包まれ、周囲は−2℃でした。
霧氷と雪に包まれた山頂周辺は、今年で一番成長した霧氷を見た気が…九州北部って、やっぱり寒い。

 

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別府から見上げた鶴見岳。霧氷で真っ白。

 

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風上に成長した霧氷。(左) 鶴見岳山頂に立つ。他には誰もいませんでした(^^;(右)

 

今回は登山装備ではないものの、自分だけトレッキングパンツとローカットのトレッキングシューズで、雪の中ではしゃいでしまいました(^^;
雪でハイテンションになったお父さんと次女、寒さで活動低下の奥さんと長女を伴って鶴見岳山頂往復しましたが、残念ながら展望は得られず。

下山後は、別府地獄めぐり〜明礬温泉でお土産を購入し、次の目的地の宇佐へと移動です。

 

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思ったより小じんまりの地獄巡り。(左) おへそに触ったらちょっと鬼の表情が緩んだ気が…(右)

 

再び別府湾SAに寄ってお食事(と再び豚まん)、宇佐の「大分県立歴史博物館」へ。
ここでは、国東にある「富貴寺大堂」の創建当初の実物大復元模型や、熊野磨崖仏、臼杵石仏などの実物大レプリカ、各種歴史資料の展示が目当てです。
特に、すがぴさんに教えてもらった「富貴寺大堂」の創建当初の実物大復元模型は翌日の見学に備えて勉強になりました。
博物館に行くとなかなか動かないのがishida式ですから、ここは十分な時間をとりたかったんです。(閉館時間も4:30なので、なるべく早く到着したかった。)
で、今日のお宿は「かんぼの郷 宇佐」、温泉も充実、食事も美味しくて(この旅中、初めての宿食)静かな宿でのんびり出来ました。

 

----2012年3月12日(月)-----

 

翌朝は、大荷物やお土産を宿から直接自宅に発送し、宇佐神宮へ向かいます。
平日の朝であることに加えて非常に寒いためか、参拝者はほとんどいませんでした。

 

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屋根付きの「呉橋」。渡ることはできません。

 

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勅使門(南中楼門)の奥に国宝の本殿がありますが、ほとんど見えません。

 

本殿前の拝殿・勅使門からは、国宝の本殿はチラッとしか見えませんが、博物館で模型を見ていたため、何となく理解できた気が…
もう一つの国宝「孔雀紋磬」の展示されている宝物館にも寄ろうかと思いましたが、一同寒さで萎えてしまっていたためパスします。
門前のお土産やさんで温かい甘酒を戴いて、少し人心地がつきました。

 


次の目的地、「熊野磨崖仏」に向けてキューブちゃんを走らせ、かなり狭くてちょっと心配になっちゃうような道を登って「胎蔵寺」に着きます。
胎蔵寺前からは徒歩で山道を登り、ちょっと雪が降ったり、日差しが射したりする天気ですが、最後に急な乱積みの石段(実際には乱積みは足場が選びやすく、凝灰岩のため滑りにくくて歩きやすい)を登ると、左手に巨大な磨崖仏が姿を現します。
深山の趣のある山中に鎮座する不動明王と大日如来は、見るものを圧倒する迫力です。

 

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巨大な磨崖仏に圧倒されます。(あまり取り上げられませんが、中央には神像も彫られています。)

 

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大日如来像(左)と不動明王像(右)。礫を含む凝灰角礫岩でありながら、顔面は非常に滑らかな仕上げです。

 

ちなみに、両像とも下半身は無く、さながら地中から湧出したかのようです。
特に肩から上は、大きな礫を含む凝灰角礫岩にもかかわらず滑らかに仕上げられているのに驚きです。
下半身は風化して失われたとの説もありますが、不動明王の剣が地層の分かれ目のくびれた部分に向かって巻き込んで掘られているのを見て、風化ではなく元々このように彫られたものだという確信を持ちました。
大日如来の頭上にある種子曼荼羅も地上からはよく見えませんが、これも昨日の博物館の展示で見ておきました。(国東や臼杵を訪問する場合、先に「大分県立歴史博物館」へ寄るのがお勧めですね。)
両側に胎蔵界と金剛界曼荼羅とを配し、中央は理趣教曼荼羅という聞き覚えの無い曼荼羅だそうです。(自分では見分けが付きませんが…)

少し上にある熊野神社にも次女と二人(あとの二人は休眠?)で参拝しました。

 

山から下り、次は「真木大堂」で重要文化財の仏像群を拝観。かなり巨大な木像群に圧倒されます。

真木大堂の周辺には近在の石仏などが集められていて、石仏公園のようです。

真木大堂から富貴寺へ向かう道中で、「元宮磨崖仏」も拝観します。
鎌倉時代の作といわれますが、ここまで見た中ではややこじんまりした、彫りの浅い磨崖仏です。 

 

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浅彫りでやや稚拙な雰囲気を見せる「元宮磨崖仏」。

 

富貴寺では、国宝「富貴寺大堂」を見学、内陣の壁画は褪色と剥落が激しいのですが、僅かに残った輪郭やシルエットからは、かつての豪華絢爛な装飾を想像できます。
ここでも「大分県立歴史博物館」での実物大復元模型の見学が勉強になりました。
もちろん、内陣で間近に見られる本尊の木造阿弥陀如来坐像も見事です。

 

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富貴寺門前の十王堂形石塔(参道左右に五王づつの対で配置)。(左) 石造の仁王さんがお出迎えの山門。(右)

 

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国宝「富貴寺大堂」

 

次の目的地は、国東半島のほぼ中央に位置する「両子寺」です。
両子寺で何を見るつもりかって聞かれると「?」な気もしますが、やはり現在の国東半島の六郷満山寺院群を代表するお寺ですから見逃せませんよね。
駐車場まで上がってしまうと、ガイドブックなどでお馴染みの仁王像を通り過ぎてしまいます。
いったん参堂を下りて仁王さんとご対面。
再び登って、受け付けで拝観料を支払って両子寺の境内を廻りました。
このお寺の奥の院は、岩壁に張り付くように建てられた懸造りで、かつての山岳信仰の姿を色濃く残したものです。

 

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懸造りの両子寺奥の院。(左) 奥の院への参道にある仁王像。奥さん曰く「おむつの仁王さん」。(右)

 

各種の仁王像や国東塔なども多数ありますが、ややこじんまりした印象でしょうか。
奥の院から両子山へ至る登山道がありましたが、時間の関係もあってオミット(これが多い?)


次の目的地として「文殊仙寺」をナビにセット、何故か道幅優先?でずいぶん遠回り、それに帰りの飛行機や晩ご飯の心配、もう少し国東半島を巡りたいという気持ちが相克する中、「岩戸寺」に軟着陸(^^;
参堂入り口の仁王像は在銘の仁王像(文明10年:1478年)として最古のものだそうです。
岩戸寺の参堂を登った先にある奥の院にはいかにも山岳信仰が起源らしい岩屋を祀っています。

 

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岩戸寺の仁王像。(左) 弘安6年銘のある国東塔。(右)

 

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奥の院の岩窟。(左) 台風の被害でしょうか?修正鬼会の行われる講堂。(右)

 

奥の院前には重要文化財指定の国東塔もあり、こちらも弘安6年(1283年)と在銘で最古のものだそうです。(石碑に「国寶岩戸寺国東塔」とあるのは、指定された当時は重要文化財=国宝だったからです。)
国東塔も、仏像などと同じく「古いものほど優美で完成されている」という法則が当てはまるようで、非常に緻密で美しい姿です。
(これまで現地で他の国東塔の実物を見て「意外と大したことないな」みたいな印象を持っていましたが、ここで考えを改めました(^^;)

昨年の調査では、石塔内から製作当初の鉄製石鑿が発見されたとのことです。

 

岩戸寺から先は、いったん半島中央の両子山方向まで登り、国見町方面に北上する道を通り、半島外縁を回るようにして大分空港を目指します。
途中、「道の駅 国見」に寄り道、この旅行中で一番の好天の空の下、海峡を隔てて姫島がきれいに見えます。
少し時間は早いですがここで晩ご飯、名物のタコ飯を食しました。

 

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「道の駅 国見」から海峡を隔てた姫島。(左) 千燈岳・文殊山あたりでしょうか?半島中央部の山々。(右)

 

食事の後、のどかな風景を眺めながら大分空港前のレンタカー会社を目指し、ここで今回の大分の旅は終幕を迎えます。
今回はかなり厳しい寒さのなかでの九州旅行でしたが、念願の臼杵石仏を始めとした磨崖仏群や国東半島(の一部)を巡ることができ、家族も楽めて満足感十分でした。