ishida式の富士登山Part3
2008年6月8日(日) 08年シーズン初の富士山へ行って来ました。
もともと予定はしていませんでしたが、「雪遊びがしたい」という欲求を満たすため(?)いつもの山仲間のK氏と、以前も御一緒した事のあるOG氏と三人で富士山を目指しました。
富士宮口五合目から下界を望む。下界は薄い雲の中。 当日の静岡県の天気予報は曇り時々雨。 |
まずは、状況を見ながら登り始めようということで、午前7時に登山開始しました。 例の如く、トラ柵の脇を通り抜けて登山道へ入ります。 登山道周辺には残雪が現れますが、まだ踏みません(左) 新七合目下部の雪渓へ(右) 今日はチベットのポタラ宮のように見える新七合目小屋(左) 今回おNewの登山靴のK氏(右) 新七合目で雨具を装着(左) 元祖七合目に到着しました(右) 八合目の下から雪を踏みます(左)あっ!バランスを崩して転倒!無事滑落停止…ウソです(中・右) 八合目直下の岩場を登ると、やっと八合目に到着 OG氏ちょっとお疲れ気味(左)。K氏持参のエスビットでお湯を沸かします(右)。
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大休止の後、御殿場口コースにつながる巻き道に入ります。 しかし、雪渓に入るとそこは全く踏み痕のない状態で、先頭を切ってステップを切っていくのは気持ちが良いものでした。 御殿場口コース側八合目の崩壊した山小屋(見晴館?)跡 登山道は七合目で「上りコース」と「下りコース(いわゆる大砂走りに続くコース)」に分岐します。 |
ほとんど自分たちの周辺しか見えない状況ですが、宝永火口へと下り、六合目に戻るコースを進みます。 OG氏曰く、「諸葛孔明が術を使って敵を惑わしたっていう何とかみたいだな。」 ↑帰って調べてみると、「遁甲術(いわゆる奇門遁甲)を使って「無人八陣図」(一見巨石を無作為に並べたように見える陣形)を敷き、呉の陸遜の追撃を絶った。」とあります。これを遠くから眺めると10万の兵に相当する殺気を放ち、一度陣内に入ればその者の方向感覚を惑わせて閉じこめ、やがて川の水を引き込んで溺死させんとするものだそうです。「正史」の方の三国志はけっこう読んだけど、「演義」は読んでないのでよく知りませんでした。 確かに、霧に包まれた平坦な広場に岩がゴロゴロしている様は、別世界に迷い込んでしまったかのような錯覚さえ覚えます。 そのうえ、ハイキングコースとなっているわりに道標が無く、平坦な火口底でコースが不明瞭でよく判りません。 3人でてんでばらばらな方向に歩いていると、ishidaがコースを発見!火口を登って六合目方向に向かいます…のはずなんですが、なぜか斜面の方向がおかしいような不思議な感覚。 と言っているうちに、「第二火口」の看板が現れます。 「前はこんなところ通ってないよね?」ということで、もう一度地図を確認すると、このまま行けばダイレクトに五合目に出られるルートのようです。 これ幸いと、ルートを見定めながら下山…のはずですが、ちっとも下っていません(^^) 程なく、霧の中から、建物のシルエットが浮かび上がってきました。 「やったー!五合目到着〜!」と思ったら六合目でした。 どうやら、違うルートを通ってきたような気がしただけで、途中からは六合目に向かうコースに入っていたようです。(途中で合流があった) にしても、ここって一般のハイカーが通るような散歩道のはずですが、全くといっていいほどコースを表す看板や道標が無いのはどういうわけでしょう? (といいつつ、そこでルートを見失う私達って…) で、今回の教訓 「視界不良時はルートファインディングを確実に!」 そういえば、今回は不良の歯科医はいなかった…楽屋落ち。 六合目からは惰性で下って五合目に到着。 早々に下山して、「天母の湯」で汗を洗い流して帰ります。 お帰りは富士宮〜由比〜清水IC〜浜松ICへと走り、晩ご飯は鰻を食べて帰宅しました。
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